『仕事選びのアートとサイエンス』を読みました

久しぶりの投稿ですが、今回は書評(みたいなもの)を書きます。
今後も書いていければと思います。
(2回目以降はもっと短くしたいです、、、)

読んだもの

今回読んだのは山口周の『仕事選びのアートとサイエンス』です。

仕事選びのアートとサイエンス (光文社新書)

仕事選びのアートとサイエンス (光文社新書)

下記で有名な人ですね。

元々は『天職は寝て待て』という書名だったようですが、
アートとサイエンス、とりわけアートを重視する山口氏の立場ーーというより最近の流行でしょうかーーを反映して改題したようです。

なぜ読んだか

WEEKLY OCHIAIに出ていて前から気になっていたのですが、
ちょうどその後くらいに今の仕事をこのまま続けていくイメージが持てず悩み始めて、
キャリア設計のヒントがあるかなと思って読んでみました。

newspicks.com

哲学科出身でビジネスマンで哲学のバックグラウンドを生かした社会発信をしている人って少ないなと、
同じ哲学系出身としてシンパシーを感じるなと思ったことが、山口氏自身に興味を持った理由です。

ざっくりどんなことが書いてあるのか

山口氏によると本書のメッセージは下記に要約されます。

仕事選びを予定調和させることはできない。
自分をオープンに保ち、いろいろなことを試し、しっくりくるものに落ち着くしかない。(p.6)

書名に「アートとサイエンス」とありますが、そう来ると「クラフトは?」って思ってしまうのですがーーミンツバーグの経営の三要素ですねーー、3つ並べると冗長だし、「アート」がきっと強調したい部分なのでしょう、この「アート」の部分が上記引用に表現されているんじゃないかなと思います。
で、この「アート」を様々な学説の引用と山口氏自身の体験ーー「サイエンス」や「クラフト」の部分ですねーーで裏打ちしていくという基本構造になっています。

山口氏自身の表現に寄せて換言すると、偶然の要素があると考えられる仕事選びにおいて失敗しないための/失敗したときのための思考=行動の様式についての本です。

天職が、思いも寄らない時期と場所で他者から与えられるものであると考えた場合、そのような偶然をより良い形で起こさせるための思考様式や行動パターンこそが、「天職への転職」に最も必要な技術なのではないか(p.21)

天職=偶然については、ジョン・クランボルツの学説「キャリアの8割は偶然」も引用されています。(p.128)
正式には「計画された偶発性理論=プランド・ハプスタンス・セオリー」というそうです。(p.129)
この「偶発性」が結構キーになっています。

だからこそ、

その職業なりの面白さというのは、やはり3年程度は経験してみないと見えてこない(p.103)
「あと半年待てないか?」よく考えてほしい(p.179)

と言います。
もうだめだと思っても、偶発的に状況が好転するかもしれない、その可能性に自分を開いた状態でいた方がよい。
これをイギリスの軍事学者、ベイジル・リデルハートを引用しながら補強しています。

外交の要諦は「宙ぶらりん状態に耐えること」(p.183)

「偶発性にオープンでいるべし」という価値言明を「アート」と捉えれば、この「アート」が延々と「サイエンス」で補強されていくわけですが、その裏返しとして、「サイエンス」に回収されない最後に残った「アート」の部分こそが重要だという山口氏の姿勢も随所に垣間見られます。

例えば、コンサルにはロジカルシンキングは必要とした上で、山口氏は下記のように主張します。

コアに求められるのは、適切な状況下でロジカル・シンキングを捨てられること(p.91)
プロセッシングスキルは差別化にはつながらない(p.157)

この辺りは『世界のエリートは』の方に詳述されているのではないでしょうか。

ざっくり言うと、以上のようなことが書かれています。

最後に、締めのメッセージが美しいので引用させていただきます。

いろいろなキャリアを、皆さんもこれまで歩んできたと思います。必ずしも自分にとって満足のいくものでないかも知れませんし、人には言いたくないこともあったかも知れません。しかし、どんなに汚くてかっこ悪いものでも、あなた自身のこれまでの人生はかけがえのないものでしょう。そしてまた、これからの人生を愛してあげてほしい(p.242)

どんな風に読んだか

単なる転職本ぽい書名ですが、古典に裏付けられた山口氏の時代認識がちゃんとあって、哲学徒として読んでいて嬉しくなりました。

山口氏によれば、労働力の流動性が高まった転職社会の「最大のリスクは社会のアノミー化」(p.80)です。
エミール・デュルケーム『自殺論』の引用ですね。
また、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』にも言及されています。(p.194)
自由に耐えられなくなった大衆が全体主義に傾倒するという話ですね。

近代人が抱える自由の重みとか自由であるがゆえの孤独とかが基礎にあるわけです。
山口氏自身が新卒で入った電通を退職したときに感じた孤独感が、このアノミー状態のよい例になっています。

自分が何か大きな拠り所を失ってしまったのだということを認識して、喪失感、孤独感、そしてそれらの感情に起因する不安感に囚われるようになりました。(p.196)

夏目漱石『こころ』からの引用もありました。

私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに 、淋しい今の私を我慢したいのです(p.197)

この辺りを読んでいた時に、ふとピーター・ドラッカーミシェル・フーコーのことを思い出しました。

自由とは解放ではない。責任である。楽しいどころか一人ひとりの人間にとって重い負担である。
ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)
(p.139)

しかし今日、ヨーロッパの大衆の一部が、秩序のない世界や意味のない社会にじっと耐えることをせず、全体主義の暗黒の魔術の世界に逃げ込んでいるという事実こそ、ヨーロッパをヨーロッパたらしめる力が健在であることを示している。
イノベーターの条件―社会の絆をいかに創造するか (はじめて読むドラッカー (社会編))
(p.42)

フロムと似てますね。
ドラッカー経営学の大家ですが、『産業人の未来』を読んだ時に結構哲学っぽいなと思ったことを思い出しました。
自由は重い。ゆえに全体主義を生み出し得る。
『産業人の未来』では戦後のそうした実存の重みの受け皿となるものとして企業を考えていたというようなことをドラッカーは後々『イノベーターの条件』で語っていました。

でも現実はそうはならなかったですね。
人材の流動性は高まり、会社に一生抱えてもらおうなんて思考は古い時代になりました。
だからこそ個々人が生存の技法をちゃんと身につけておくことが必要なんでしょう。
今回の場合で言えば転職の技法ということになるでしょう。

思い出したフーコーの言葉は下記です。

その時、天空の低いあたりに裂け目が開き、以後われわれの言葉はもっぱらそこをめがけて発せられ続けている。
フーコー・コレクション〈2〉文学・侵犯 (ちくま学芸文庫)
「言語の無限反復」(p.101)

「その時」とは要は近代のことですね。近代文学はみんな裂け目に向かって言葉を発していると。
深く考え始めるとよくわからないのですが、どことなく虚しい比喩表現で気に入っています。
フーコーは言葉を発することが死を遠ざけることになるとも言っています。
ただ、折角言葉を発するなら、人によい影響を与えたい、どう受け止められるかわからないけれどもその偶有性に賭けたい、そんな風に思います。

非常にざっくばらんでしたが、以上です。

筆者の体験も交えた引用

新商品が生き残る確率は、飲料の分野では1%以下(p.48)
M&Aが所期の成果を達成できている確率は1割程度(同上)

ビジネスは成功もあれば失敗もあり、そして失敗の方が多い、だからこそ成功確率を上げるために頑張ろう、と山口氏は主張しています。
偶発的な出来事が成功/失敗を決したりする、そんなことが仕事選びでも実際のビジネスでも発生しているのだと思います。

これは筆者もコンサル業に微妙に携わっていて最近、本当に重要だと思うことなのですが、コンサルしたことで結構、失敗するんですよね。
それで自分のせいだと思って落ち込むんですが、それではだめで、そういうこともあるんだと割り切って、成功確率を上げるために頑張らないと続けられないのだろうなと思いました。
山口氏の言うように「ポジティブでいこう」(p.48)です。
常に成功するコンサルではなくても、他のコンサルより成功確率の高いコンサルであればクライアントは納得してくれるはずです。

最後に

山口氏も読んだ本の面白いと思ったところをエバーノートに書き写すそうです。
筆者もエバーノートにメモを書き、その上でブログにしてみました。
誰に向かって書いているのか、自分の立場は何なのか、文章下手だなとか、いろいろよくわからずとりあえず書いてみました。
もちろん読んでもらって、何か示唆を得てもらえたら嬉しいですが、書く過程で昔読んだ本を読み返したり、今度はこれについて書いてみようかなとか、思いもよらなかった経験ができました。
「偶発性にオープンであれ」を実践していこうかなと。

ありがとうございました。